昔々・・
地図を眺めていると、鉄道に興味のない父がめずらしく覗き込んで、会津と鬼怒川の間を指さしました。
そして点線のような、建設中という部分を見て、「ああ、ここだ。ものすごい山の中に線路を建設中なんだぞ」。
今から思うと、当時、埼玉から会津まで、定期的に運行する便があって、もちろん東北道など開通前。鬼怒川から先、山中の国道を抜けて会津に出ていたわけです。もちろん冬場は難路。
そのような関係で、建設工事を目にしたのかもしれません。
それから十数年後、現在のように、ほとんどトンネルで通る豪華な線路が出来て、浅草から東武電車が途中まで直通して、会津までが繋がったわけですが、実はその先の計画が・・・あった。
その先は、喜多方を抜けて、米沢まで。そうすれば奥羽線に繋がって、山の中の縦貫線だったと考えると、わかりやすいですね。
その際に、熱塩駅まで線路が出来て、そこで中断。路線名は、そのすぐ先の日中温泉から名づけられて「日中線」。
でも、後半は、列車は朝、夕、晩の3便しかないので、「日中は走らない日中線」という話が有名だったようですが、どうも路線名の命名が少々変わっている。
経緯は、もう地元の人でないとわからないのかも。
先日の東北からの帰路に、わざわざ通ってみたわけですが、新しい国道の立派なトンネルをいくつも抜けたところで、ちょうどトンネル名が「日中トンネル」。もともとの日中温泉は、ダムの下。
いずれにしても昔々のお話でした。