写真に載っていた最初のお得意様。
当時バイクに乗っていいた人は珍しかったと思います。
どこかの郷土資料館に手動動力の農業用の機会に、この会社の名前がありましたので、もともとそのような製品を製造しながら、内燃機関を動力とする機械の製造にのりだしたのでしょう。
最近叔父から、エンジンは富士重工から調達して自社工場でトラクターなどを製造していたと聞きました。
それこそ本当に全国を一緒に回って売り歩いたというのです。後に、祖父は寝るときには、お得意さんの方角には絶対に足を向けなかったと、よく聞かされました。
時代がくだり、需要の変化もあったのだとは思いますが、耕運機などを運ぶことは無くなって行きました。
二十数年前までは、その工場も残っており、おそらくは一部海外などで生産しながら営業されていたのではないかと思われます。
運送でのお客さんではなくなっていましたが、何かの所用で数回訪ねたことがあります。事務所の床は油の匂いのする、茶色い木の板張り。ギシギシ鳴らしながら奥へ行くと、「第一応接室」などと黒い板に手書きの白いペンキで書かれてあり、往時の活況を思い起こさせる建物でした。
今は既にマンションなどになっていて、面影はありません。