大叔母の葬儀があり、参列しました。
30分前に到着したのに、もうはじまっている。あれっと思って入口近くにくると、お経ではなく長唄だった。
故人の好きな曲を流していたのでした。
御年100歳。あと2週間で101歳のところ。
その昔、結婚して1年、子供が生まれて間もない頃、旦那さんを戦争でなくしました。
その後、商売をしたりと戦後を生き抜いて、ひ孫にもめぐまれた人生。
旦那さんがなくなったのは、太平洋戦争前の、日中戦争と呼ばれた時代。陸軍に志願して、線路を守っていた所、弾に当たったのだそうです。
長唄が流れるなか、式場の通路には、故人を偲ぶ写真が何枚も飾られていいました。
そして写真のなかに、その当時の旦那さんの葬儀の写真もあったのです。
祭壇の前で、両脇からこちらを向いている人たち。旦那さんの両親に、当時25歳だった大叔母。生まれたばかりのお子さんを抱いていました。そしてお坊さん。
そのお坊さんは、今回の葬儀のご住職の祖父。ずいぶんと歴史的価値の凝縮された1枚でした。
久しぶりにあった従兄弟は、故人がその後の東京大空襲のさなか、リヤカーで荷物を引いて東京をあとにする悔しさを何度も聞かされたと。
私は母からは、当時、祖母が、妹が空襲から逃れて、千葉にたどりつくまで、心配のあまり狂乱状態だったという話を何度も聞かされていましたが、その話は従兄弟は知らなかったようです。お互い歴史の空白を少しばかり埋めました。
100年。でも考えようによっては、なんら時間が経っていないないような錯覚もおぼえますね。