島秀雄氏の存命中、雑誌への寄稿を、読んだことがあります。
「こうだからとか、何かと理由をつけているけれどもね。やる気になればできるのに」と当時の鉄道会社に苦言を呈していました。
そして、昔の話になりました。
昭和14年に秀雄氏の従兄弟が、混雑した神戸駅のホームで人に押されて転落し、汽車に轢かれ、病院に運ばれました。
まだ青年だった従兄弟は「汽車は危ないから気をつけてください」と言葉を残し、駆けつけた秀雄氏らに看取られて亡くなったという話を述懐されました。
氏が戦前からホームドアを主張していたのは、この経験がもとになったと言えるでしょう。
ホームでの転落事故にはいまだに視覚障害の方の犠牲者が多いということ、それに、その対策としてホームドア設置推進の運動をされている方たちがいらっしゃる事を最近知りました。
それから考えますと、白い点線だけだった昔のホームに、黄色い点字ブロックが設置された頃は意識していましたが、最近ではあまりに慣れてしまって、意識せずにいた自分が大変恥ずかしくなった次第です。