三國連太郎さんの訃報を聞いて、いくつかの作品を思い出しながら、それとは別に思い出したことがあります。
20年も前。あるとき電車に乗ると、中吊りの広告に、三國連太郎さんが出ていました。
やさしくにっこり笑って、脇の文字が「週40時間制を実現しましょう」というもの。
もちろん当時から三國さんは好きな俳優さんでしたが、その文字を見た時に、別に本来三國さんが言っているわけではないのは承知のうえで、「この業界の現状をわかって言ってるんですか?」と心のなかで呟きました。
まだ当時はとても実現するにも雲をつかむような状態でした。
ところが、どうもその頃を境に状況がすこしずつ変わって行きました。
結局、世の中が40時間制になっていくに従い、さまざまな分野の取引先が土曜日は稼働しなくなって行きました。
お客さんの工場が稼働していても、納品先が休みであれば、配達もなくなっていきます。
そのようなわけで、それまで平日とほとんど変わらずに稼働していた土曜日が、極端に動きが少なくなって行きました。
そして、年末年始や連休など、おもに工場のあるお客さんが長い休暇を取るようになったので、完全週休とは行きませんが、土曜日や連休中などを交替して出勤するように調整すれば、年間変形労働時間制の採用で、週40時間をクリアするようになったのです。
その後、しばらくしてテレビで三國さんを見た時に「失礼しました」とひとりごとでお詫びをしました。