私が初めてこの曲を聴いた年に、他界したショスタコーヴィチ。その後、曲の解釈は大きく変わり、また新たに謎を残したままになりました。
当初は共産党機関紙に批判された後、交響曲第5番を書き上げ、喝采を浴びる、苦悩から勝利への図式。ところが、実際にはそうではなく、強制された歓喜を表した曲との理解がすすみ、実際、「騙されないぞ」とのメッセージなどを込めた曲であると・・。
第2楽章は「皮肉な微笑」との表現は、一番最後でうなずけます。そして第3楽章はレクイエムとも言われています。
問題は第4楽章。
今回、この曲を聴きながら、前半のベートーヴェンを思い、民衆の闘争・勝利の時代から、100年過ぎて後、国家との間で身の危険の恐怖のなか、交響曲を作る作曲家・・。この世は一体・・という複雑な心境になりました。
それでも第4楽章の終盤、指揮によって全くテンポが異なる部分。今回はどちらかというと、やや早めにもとれるテンポ。昨日は私には、最後は勝利であるという明るいメッセージとして受け取れたのですが、尾高氏の解釈はどうだったのでしょう。
とても魅力的な選曲・指揮・演奏で、このうえない時を過ごせました。