昨日は、映画 Fukushima 50(フクシマフィフティ)を観ました。
緊迫するシーンの連続に、ゾクゾクと寒気が断続的に。
連日、刻々と報道されるニュースを注視していた割には、今となっては、事態の経過の記憶があいまいなところも多く頭の中は整理がつきません。
フィフティ、という意味も、最初はわかりませんでした。
ただ、やはり、すべての情報が出ていたわけではなかったのですね。
それにしても、東日本壊滅の事態が回避された、炉内の圧力が低下した一部の理由が、はっきりしていない、というのが印象に。
それが真実とも思えるし、ほんの皮一枚でつながっている現実の恐ろしさも。