大宮の製糸工場の話が出たので、調べてみると・・・
その工場が出来てから、三十年ほどで、昭和四年の米国株式市場の大暴落、その後は戦争となるのですから、今も昔も産業を取り巻く環境はめまぐるしかった・・
そういえば、私が会社に入った最初の数年は、繭(まゆ)を運ぶ仕事もあったのです。
その時期だけ、何カ所かの農協に行って、集まった袋入りの繭を積んで、製糸工場に持ち込む輸送を依頼されていました。
確か自分も一度くらいは、助手席に乗って行ったようにも思いますが、あまり詳しい記憶がなくて、行った農協と、古い工場がかすかに。
N氏あたりは覚えていますかね?
荷台に残る特有の匂いが苦手という人いたような。
桑畑も、三十郎、じゃなくて三十年位前ですと、割合身近なものでして、うちの会社も長いですからね。私も長いか・・・