移動含めて1時間半程度の作業。
今日は日差しもさほどではないのですが・・・予定通りの作業を終えたら、結構な汗・・・
湿度が高いか。
これに気をつけなければならない季節。
今から思えば、なんだったんだろうと。
当時にしてみれば、実に厳しい規制がなくなるんだと、内心歓迎した向きもあります。その後どこに向かうかとは知らずに。
ずっと印象に残っているのは、ある場所で、この件を解説した集まり。壇上で説明にあたっていた年配の人が、「・・要するに、これは外圧です。」
それ以降、ぱったりと認可運賃もなくなり、協会からして、「業界に対して運賃を先導するなんて、そんな権限はありません。」と。
つまりは180度物事が変わっていきました。その規制緩和が平成2年。昭和30年前後の、あの日から、35年の後のことです。
外圧にそんなに弱いのか、ということだけ残っていましたが、最近になってようやく、腑に落ちることが。
戦後10年経つかどうかの時期の、浦和駅でのシーン。それから35年後に、規制緩和の解説を、「ふーん」とのんきに聞いていた私。
80年も近く、あまり本当の姿を知らされずに来たのだと。
当時の話は、そこまで。
それまでの詳しい話も、その後の経緯も聞いていないのですが、なぜか父はその場面だけ話をしたのです。
で、普段使う駅ですから、ちょっとホームの椅子に座ったりすると、その話を思い出します。
二人はもちろんこの世にいないし、その話を知っているのも自分くらい。でも、同じ場所で時を巻き戻せば、ホントにそんな事があったんだなと。
不思議な気もする・・・という位に、その後世の中が変わり、業界も変わりましたが、その前に、規制緩和という節目がありました。
昭和30年前後の、のどかな浦和駅のホーム。
ホームには、50歳代と20台半ばの二人。
椅子に座って、しょんぼりとした父親の様子を気遣う、息子。
約67年前の私の祖父と父。
あまりに気落ちした感じで、列車に飛び込みやしないかと心配したと言います。
行った先は、当時浦和にあった、東京運輸局の浦和支所。埼玉でも当時は、東京運輸局の管轄。
今現在とは大違い。自動車運送事業は、許可ではなく、免許制。基本的には駄目なものを、文字通り特別に免じて許すというスタンス。
その日も何回目かになるが、書き方の違いか何かを指摘されて、返されたのだとか。
昭和30年代、というと、トラック輸送が飛躍的に増えていったのが昭和40年代なので、それより前。
自動車による貨物輸送の初期からとなれば、これはさすがにダイナミックな変化を。
昔が牧歌的、といっても伝わりにくいか。
わかり易い例・・たとえば、高速道路がない時代、というのは?
国道16号がひろい砂利道だった、というのは、どう?
今も現役最古参の証言。昔は道路はほとんど車が通らない遊び場・・・
昨日で61年。長いですね。私よりも年上。
それにしても、この間の時代の変化のすごいこと。
でも、10年って、ついこの間。20年だって、まあこの前。
その割には、じゃあ60年前の様子ときたら・・・
汽車が電車になったという、物自体の変化じゃなくて、どういったらいいか・・・要するに価値観とでも・・その変化がすごい。
若い人には想像のつかないことばかりだろうね。
ちょい懐かしいの、大宮商工会館が1961年竣工だったと知り、そういえば・・・
同じ年は、前川國男の東京文化会館、そしてアントニン・レーモンドの群馬音楽センターも良い建物ですね。
で、1961年は、弊社の会社としての創立年で、本日で満61年。
ありがとうございます。長年のご愛顧に、お客様に感謝です。
ようやく検診車の続報が。
やはり扉の異常を示すランプが点いて、走行中に後ろに確認しに行ってのことのようですね。
最初の報道記事では内容はさっぱりですが・・・「検診車の画像から後部のドアが、片開きなので、恐らくは外開き。走行中に操作すると、かなり危険」という旨の読者のコメントがありました。
観察眼がするどいですね。こういう人は、短い時間に潜んだリスクを察知できるのでしょう。
あらためて車の画像を見ると、前面は完全に大型トラックの顔。昔はバスがベースだったようにも。構造のことはわかりません。自分が検診受ける際は、早く逃げたくて、ほとんど余計なところは目にはいません。
駅前で待ち合わせ。
待っていると、バイクが目の前に止まって、少ししたらカバンを下げて、出発。
出たと思ったら、また次もバイクが目の前に。今度は緑ナンバーのバイク。
おっと、私の背後はハンバーガーショップだった。配達のバイクだったんだね。
10分間に、バイクが4台。店に入って、すぐにカバン下げて出発。
そろそろお昼も近いということもあるが、今は、これが普通か。
昔、チャーター便のミニマムなものは、何かと考えたときに、出前配達かなぁと思っていましたが・・・コストが絶対に合わないと。
あれから何十年。たしかにIT技術、スマホ・GPSの浸透で実現したわけですが、これは30年のデフレも関係するなあと。
持続可能・・という言葉に囲まれていますが・・・
直近の課題。そう、年齢の事もあって、作業負担軽減も必要。
ネットで探したり、ホームセンターなどに立ち寄った際でも、使えそうなものはないか、などと。
そうしないと、持続不可能か・・!