さいたま市の川合運輸株式会社です

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知らなかった!・速い列車

自動で録画される番組の中で、鉄道ジャンル。鉄道とはいっても、たまたま見たのは貨物電車。

貨物列車じゃなくて貨物電車なのがミソで、とてもめずらしい存在になります。その存在をある時知って、「いつの間にか、こんなの出来たんだ。」と感心しましたが、最高速度130kmを出すと知ってなお感心。

ただ、これは以前に触れたと思いますが、どちらかというとCO2削減に対しての取り組みというテーマが主で、この編成だけで開発費が捻出できるとはとても思えないですね。
ただ、やはり鉄道とトラックでは分野違い。

鉄道の世界では、この車両開発で大変だったのが、実空差、つまり荷物(トラックに載せられる専用の大きなサイズのコンテナ)を載せている時の重量と、空で走行するときの重量の差の大きさからくる支障をいかにクリアするかが大変だったようです。

空で走行すると、カーブで車両が浮き上がったり、ブレーキをかけた時に、車輪がロックしてしまって異常な摩耗を起こすのだそうです。

鉄のレールに鉄の車輪(それがいいのですが?)で、基本的には車両同士を連結させて編成で走行する鉄道ならではの特性ですね。

この辺はフルトレーラーなどを除けば、単体で走るトラック。そしてアスファルト上をゴムタイヤで走る自動車からは想像がつかない世界になります。

ちなみに、この大きな問題を、特殊なコイルばねと、ひとつの車輪ごとにブレーキの状態感知する装置でクリアしたのだとか。

東京大阪を在来線で6時間というのですから、知っている人はわかると思いますが、東海道本線では最速ですよね。飛脚みたい!

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再度観ました・風立ちぬ

今回は再度純粋に全体的なストーリーを楽しみましたが、実は最初に観た時には、鉄道に関する描写につい注意が行きがちでした。

まず冒頭に「軽便」の機関車・貨車が登場したのに「おおっ」となりました。

そして主に幹線を走る列車の「等級」。今のグリーン車となる前の3等級の区分があった時代。赤帯の三等、青帯の二等(白帯は一等)で、最初の頃の主人公の立場と、その後の変化を表しています。

そして震災が起きて、列車が急停車するシーンでは、今では見られない連結器の動きの描写がひときわ目立ちます。ちなみに、この2年後にほぼ全国一斉に連結器が交換されました。

一番微笑ましかったのは、休養に避暑地に出かけるシーン。列車がレンガの橋を渡っていきますが、これは碓氷峠が電化されて最初に活躍したドイツの電気機関車。碓氷峠専用の機関車ですから避暑地は軽井沢となりますね。

航空機の構造、部品についてはわかりません。翼の張力とでもいうのか、構造的な表現がされていますが、わかるひとにはわかるのでしょう。

タバコを吸うシーンが多すぎるとの指摘がある団体からあったようですが、そもそも零戦を取り上げることに身内からも異がとなえられたとか。

何か事実を置いておいて、影響の懸念ばかりが優先されてしまう風潮には正直辟易するところがあります。長編は最後になるようですが、いい映画が世に出てよかったですね。

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汐留新旧の顔2

先日、汐留新旧といって、新だけでした。なので旧を。

汐留跡地というと、どうしてもバブル時代の売却の中止が、結局は国民の負担を増やしたというどうもおかしな話に汚されてしまいますが、本来は日本の鉄道発祥という由緒の地になります。

日本の初めての鉄道は、というと「新橋・横浜間」となりますが、当時の新橋駅は現在の新橋駅ではなく、位置としてはこの汐留になるのです。

まだ私が学生の頃は、汐留貨物駅という看板がありました。

再開発にあたって調査した際に、開業時に使われていた、機関車の向きを変えるための転車台の遺構が発掘されました。ただ、傷みがひどく、復元は無理だったため、一部の石を利用して円形に並べて転車台のイメージのモニュメントとして形を残しています。

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汐留新旧の顔


新橋駅から数分の汐留の一角。やたら交通整理の人がいてその先に驚くような豪華な建物が。ここはJRA。もっとも私は場外馬券売り場に来たわけではなく、その隣の建物。

先日コンサートが行われた建物の周囲は、一瞬、外国かと錯覚するような風景。

国鉄時代に貨物ターミナルがあった汐留貨物駅。そしてそれが廃止、取り払われ、長いことそのままだった、いわゆる汐留跡地。

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かつてはアナログ情報ネットワーク

ここ何年かで割合、世界でも鉄道での大きな事故がありますが、日本の場合は戦後まもないころに結構大きな事故があって、中には無人の電車が動き出したり、その犯人として風呂に入っていた人が捕まったりと、不可解な事件もありました。

その後は安全対策も進んでいったのですが、それでも踏切事故というものは結構あったようです。私が覚えているのはおそらくは幼稚園頃。早朝にすぐ近くの踏切で電車とダンプカーが衝突して、傾いた電車を見たことがあります。

そうかとおもうと、又、近所の別の線が脱線したという話を聞いて、また踏切へ行くと、煙が上がっていますが電車は見えません。近づくと横倒しになった電車の床下が見えていたという事もありました。

これは事故ではないですが、駅の石炭が入っていた穴に酔っ払いが落ちたという現場も見て、顔まで覚えています。

さて、なんでこんな現場を見られたのかというと、すべて祖母の情報。

電話しかない時代に、何故か近所の何事かがあったときの状況キャッチ能力は驚くほどでした。未だに謎なんですが、近所のおばさまがたの情報ネットワーク力なんでしょう。おそらくツイッターも凌いでいたのではと。

もっとも最近は女性だけではないようですが。

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我に返って運送もサービス業

昨日乗った、ひたちなか海浜鉄道は、全線で14キロ位の比較的短い路線です。結構早朝早くから運行していて、私にしてみると利便性が高くなるように努力されている印象です。通学定期を思い切って割引を増やして実績をあげたりと、積極的な取り組みも。2011年の震災で大きな被害を受けましたが、約4ヶ月で全線復旧しました。

社長の吉田千秋氏は、第三セクターとして発足した時の公募社長。最近はテレビで鉄道をよく取り上げていて、演出の関係からか、少々オタクっぽい面白い感じに紹介されていた時ありますが、実は富山の万葉線という、日本初の第三セクター路面電車を立ち上げたプロなのです。

社長がまず最初に取り組んだのは、「なんと」、社内でサービス業であることの意識づけなのだそうです。

「なんと」としたのは、やはり「鉄道」というと少々イメージが違うという印象を私自身が持っているからなのでしょう。

サービス業・・・。

大事なことなのです。

ご存知「俺たちの旅」の主人公の地元としてのロケ地。那珂湊へどうぞ。

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ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅

めずらしくセミナーが水戸だったため、昨年から行こうと思っていた、ひたちなか海浜鉄道に行って来ました。

おさむとしては、前から気になっていた、おさむには逢えませんでしたが、名前の由来は聞けました。黒猫であることから、黒ネコのタンゴ・・皆川おさむ・・からだそうです。聞いて納得。一定の世代以下には全く不明でしょうが、昔あれだけ流行れば忘れませんね。

私と違ってずいぶん優秀なのだそうで、駅ホームでの安全確認や、時には駅事務室でPC操作までするというのですから驚きです。

那珂湊駅近くの魚市場は大盛況でした。道路が大混雑するときもあるようですから、そんなときはひたちなか海浜鉄道で。

知る人ぞ知る銀色の「ケハ」ともご対面できて満足です。

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狭山市駅

昨日のセミナーでは西武新宿線の狭山市駅前に行きました。

市民会館へは行っても狭山市駅にはあまり行きませんでしたが、昨年に駅前の再開発が完了してずいぶんと綺麗な駅前になって驚きました。

会場は駅前にある市民交流センターでしたが、とても綺麗で立派。ホテルの宴会場並みの設備です。

狭山市駅というと、つい旧駅名の「入間川」駅が浮かんでしまいます。

今考えると、そばを流れる川の名前の駅とは風流ですが、市制の前の住所がそうだったんですね。近い距離にある入間市駅となんとなく混同していた時もありました。いずれにしても「狭山」も「入間」もとても由緒のある名前です。

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周囲もなにかと某鉄

最近は雑誌などでも売上に関係するのか、鉄道の事柄を取り上げることが多いですね。もちろんテレビでもそうです。もっとも趣味というばかりではなく、海外への鉄道システム輸出という経済的な話題もあるのですが。

考えてみると、周囲にも昔から程度の差はあっても鉄道好きが。

従兄弟の結婚式に行った時、丸いテーブルにそれぞれついてる名前が・・あれ、馴染みのある名前だと思ったら、すべて特急列車の愛称だったり。

叔父も昔から結構興味があるみたいですが、今で言うナントカ鉄でいうとどんなジャンルになるかは不明です。

先週も貴重な機会である、おおみや鉄道ふれあいフェアに行ったとか。

それを聞いて思い出しましたが、そうとう昔、私が小さい頃、蒸気機関車のお面のような貯金箱をもらったのです。

子供向けにすると少々大きなものでした。あとで聞くところによると、本当はご自身が欲しくて買ったものの、奥さんに言われてどうも私にまわってきたそうな。

国鉄の無煙化計画で蒸気機関車が姿を消す頃の蒸機ブームの頃のことでした。

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迂回路

私よりは普段鉄道を使うことの多い専務なので、何かと遅延等の影響は受けがちです。

今日は小田急線で帰りがけに、直前に人身事故発生で運転見合わせ。丁度夕方のラッシュ時刻でたちまち大混雑だったようです。

さてどうするかとなった時に、駅では手際よく何やらモニターのようなものが出ていて、何通りかの迂回の仕方、所要時間などが表示されていたとのこと。

私は見たことありませんが、これはJRとかもやってるんですかね。

ただ、表示の迂回方法にはどうしても人が集中します。

特に震災以降は群衆に恐怖を感じてしまうようで、特にホームに人があふれる状況はとても危険だと言っています。

今日はさらに大回りして横浜から帰って来ました。

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