さいたま市の川合運輸株式会社です

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日光 乗るだけ鉄

前日夜に急に決め、朝から久しぶりに乗るだけの鉄道。しかもほぼ午前中のみ。
JRで日光駅へ。すぐ東武日光駅からとんぼ返り。
乗りつぶしの一環で、比較的近いところなのにこの路線は乗ってませんでした。
駅を降りれば、少々雲がかかった男体山が見えて、時間の制約がなければ予定を変更してゆっくりしたかったのですが。

JRは遠回りで運賃も割高。最近レトロ風に一部列車や駅施設をブラウン系に塗りなおしていますが・・。日光駅舎は古くていい味ですが。
東武は昭和初期の開業時から複線電化で、一時期国鉄との競争があったものの、そのうち国鉄が白旗をあげ、日光への観光は東武の独壇場でした。
ただ、マイカー主流の近年です。打開策をということなのでしょうが、数年前からのJRと東武が手を組んでの列車設定はめずらしいです。
この東武日光から途中まで東武、途中からJRの路線を走って新宿に向かう列車に乗る理由は、実は別にも・・。

東京スカイツリー

もしかしたら埼玉の人でも、さいたまが候補地だっとことを忘れてしまった人も多いかもしれません。
普段、新都心を通ることが多いので、まだ更地になっている元候補地を見ながら思い出します。でも、まだ決定される前には、当然さいたまに決まるものだと思っていました。不動産関係の会社の人も、当時はもう決まったことのように話していたと思います。

ただ、今回の開業の様子を見て、後背地の懐の深さは、やはり東京とは差をつけられますね。
このさいたま新都心の用地は病院が移転してくることで決定し、来年度に着工されるとのことです。
ぜひLRTは実現して欲しいです。

ところで、スカイツリーの完成によって、東武鉄道の駅名が「業平橋」から「とうきょうスカイツリー」に変わりました。となりの浅草駅がターミナル駅で観光に便利なのですが、実はもともとこの鉄道が開通した当初は今の浅草駅はなく、業平橋駅がターミナルでした。名前も吾妻橋、浅草、業平橋につづいて4代目になります。
タワーの用地も、貨物営業をしていたターミナル駅ということで細長い用地があったから建設可能だったわけです。

旧国鉄の貨物ヤード

興味のあるジャンルで自動的に録画されたビデオ。昔の貨物操車場の映像を話題にした内容でした。

ここ何年かで新三郷駅周辺にオープンした大規模なショッピングセンター。この広大な敷地が元鉄道貨車の基地だったということを知っている人は多いでしょう。
もちろん私も知ってはいましたが、国鉄の終焉と、無駄になってしまった貨物ヤードの象徴として覚えていただけでした。

番組では、この基地の役割、仕組み、施設を完成されるまでの各種の試験の様子を映像で解説していました。当時としてはコンピュータを使用した最先端の実験的施設でした。
各地方から到着した貨車を切り離しながら、自動で動かし、各行先別にポイントで貨車を振り分け、さらに方面ごとに到着駅の順番に自動で貨車を並べ替えて、また列車として出発していく・・・。
すごい設備なのですが、今から思うと、ここまでするなら、トラックのほうが各自、方面別に直接向かえばいいわけですから早いのです。
そのスピードの差で、この施設が稼働する頃にはほぼトラックが完全に優勢になったのはご承知の通り。

でも現在の宅配貨物や大規模ネットショップの流通施設で使用される自動仕訳の原型のような設備を作り出していた、当時の技術陣はやはりすごいと思います。

 

ホームの安全3

島秀雄氏の存命中、雑誌への寄稿を、読んだことがあります。
「こうだからとか、何かと理由をつけているけれどもね。やる気になればできるのに」と当時の鉄道会社に苦言を呈していました。
そして、昔の話になりました。

昭和14年に秀雄氏の従兄弟が、混雑した神戸駅のホームで人に押されて転落し、汽車に轢かれ、病院に運ばれました。
まだ青年だった従兄弟は「汽車は危ないから気をつけてください」と言葉を残し、駆けつけた秀雄氏らに看取られて亡くなったという話を述懐されました。
氏が戦前からホームドアを主張していたのは、この経験がもとになったと言えるでしょう。

ホームでの転落事故にはいまだに視覚障害の方の犠牲者が多いということ、それに、その対策としてホームドア設置推進の運動をされている方たちがいらっしゃる事を最近知りました。
それから考えますと、白い点線だけだった昔のホームに、黄色い点字ブロックが設置された頃は意識していましたが、最近ではあまりに慣れてしまって、意識せずにいた自分が大変恥ずかしくなった次第です。

ホームの安全2

子供の頃に読んだ鉄道の本の中で、鉄道技師だった島安次郎を「車両の神様」として紹介していました。
弾丸列車を計画した事で有名ですが、当時、危険が多く、多くの作業員の犠牲者を出した旧式の連結器を周到な準備のうえ、大正14年に一晩でほぼ全国の車両の連結器を新型に交換した伝説的な逸話が印象に残っています。

その子息の島秀雄氏も同じく鉄道技師で、父の弾丸列車計画を新幹線として実現し、何年か前にはドラマにもなりました。更に秀雄氏の次男の島隆氏も同じく技師として、東北新幹線などに携わり、台湾高速鉄道の顧問もされました。
まさしく華麗なる一族ですが、島秀雄氏は1998年に他界されるまで、終生ホームドアの設置を主張しつづけていたと言われています。

ホームの安全

「安全」というと、鉄道にも眼が向くのは鉄道好きだからでもありますが。

普段、通勤で電車に乗らない立場でも、何かと事故による遅延・運転見合わせに遭遇します。色々な原因がありますが、ホームからの転落事故については特に気になります。

逆に通勤で日常になっていないからこそ、ホームの危険を強く感じます。
特に、階段やエスカレーター、それに何かの工事により、より狭くなっている場所。私などはよく感じるのが新宿駅の埼京線ホーム。こわごわ通り抜けます。電車から降りても、すぐに反対側を歩く気にはなれず、逆に降りた電車が走り出さないうちに同じ側から歩くことが多いです。

新しく出来た地下鉄などの路線は、ホームドアが設置されて理想的な環境になりました。その他、地下鉄などを中心にあとからの設置が少しずつすすめられています。新幹線以外のJRでは、ようやく山手線に少しずつ設置が始められました。しかし、山手線の全駅設置は2017年度となっていますので、まだかかりますし、その他の首都圏のJR在来線の設置計画は現在のところ、ここまでです。