先日、南海電鉄の駅で待ち合わせしたときに、踏切のところでラピートが通過。
I氏は、さすがに初めて見たそうで、あの姿にいたく感動していました。
そんなに感動してもらって、ラピート君も四半世紀走り続けた甲斐がありましたね。
もっとも私も、乗ったことはないです。
ちなみに、私はこんな終着駅に感動していました。
先日、南海電鉄の駅で待ち合わせしたときに、踏切のところでラピートが通過。
I氏は、さすがに初めて見たそうで、あの姿にいたく感動していました。
そんなに感動してもらって、ラピート君も四半世紀走り続けた甲斐がありましたね。
もっとも私も、乗ったことはないです。
ちなみに、私はこんな終着駅に感動していました。
ひたちなか海浜鉄道の、駅猫おさむが、永遠に旅立ったのだそうです。
おとずれたのは、もう6年も前。ただし会えなかった。ケハを見て得心して帰りました。(これは通じませんね)
で、名前の由来が気になるので、改札の人に聞いたら、「黒ネコのタンゴ」から来たそうで。これでわかるのは少数派ですか?
駅猫おさむ様、お疲れ様でした。
こちらのおさむは、いまだ修行中です。
先日、いすみ鉄道社長が退任との話を。
ブログも終了・・・ところが、なんと名前が少し変わって、「元社長」が入ったブログ再開。
そうでしたか。よかった!
応援団、張りきっているようですね。
実は、意外にもうちの専務が喜んでいるのです。
そういえば、以前に会合で講演を聴いているんですよね。
さすがファンが多い。
千葉県のいすみ鉄道の社長さんが、今月退任されたんですね。
公募社長として就任後、数々の新機軸を打ち出して、ずいぶんとテレビでも取り上げられて、全国区のローカル線に。
仕事としても、鉄道ファンとしても、実に面白い活躍ぶり。
鉄道ファンとしては、ほぼ同世代で、交通機関の在り方から観光鉄道の位置づけ、そして趣味の観点からも、あれこれストレートに共感でき、ブログを楽しみにしていました。
一言でいえば、「情緒」を大事にされているということでしょうか。
退任にともない、ブログも終了になったようで、さみしい限り。
新しいことを始めるのに、さまざまな障害を乗り越える力は相当なものだと・・・
今後のご活躍を!
SLの走るところ、まわりは皆さん笑顔ですね。
さて、運転台をのぞくと、水筒にペットボトルで水分補給しているのが見えましたが・・
暑い日には、運転台内は50度から60度位にまで温度が上がってしまうようです。
この路線はトンネルはありませんが、蒸機の運転自体、過酷な作業ですよね。
そんな中、お客さんや沿線の人が、汽車に向かって手を振る姿をみると、熱さも吹き飛ぶのだとか。
そう、ここでも必要なのはAIじゃなくて「愛」だったんだ!
少し前の報道で、長崎新幹線でのフリーゲージトレインは断念のようですね。
線路幅が変わるのに合わせて、車両の台車の車輪の間隔を変化させるもの。在来線と新幹線をそのまま走れるということでしたが・・
高速走行するにはなんとも難しそうな。でも、ほとんど完成の域までもってきたのに、肝心な車軸に擦り傷が発生する問題があるのだとか。それにランニングコストも高いらしい。
それを聞いて、あらためて、明治末期に後藤新平が具体的に計画していた、国内の幹線の標準軌化(今の新幹線の幅)が実現していたらと。
あの島安次郎技師のもとで、計画通りに確実に実行されたとしたら、日本の鉄道は随分と違うものになっていたのでは。
その分、後の新幹線計画は、逆に今とは違うか、なかったかも。なんとなくイギリス風?
でも現状は、線路幅のみならず、全国一つだった組織を分けちゃったり、ズタズタですね。
当時から規格を一回り大きくしていれば、コンテナや自動車陸送など、現在でも通用する、しっかりした貨物輸送システムも出来たのではと。
昔々・・
地図を眺めていると、鉄道に興味のない父がめずらしく覗き込んで、会津と鬼怒川の間を指さしました。
そして点線のような、建設中という部分を見て、「ああ、ここだ。ものすごい山の中に線路を建設中なんだぞ」。
今から思うと、当時、埼玉から会津まで、定期的に運行する便があって、もちろん東北道など開通前。鬼怒川から先、山中の国道を抜けて会津に出ていたわけです。もちろん冬場は難路。
そのような関係で、建設工事を目にしたのかもしれません。
それから十数年後、現在のように、ほとんどトンネルで通る豪華な線路が出来て、浅草から東武電車が途中まで直通して、会津までが繋がったわけですが、実はその先の計画が・・・あった。
その先は、喜多方を抜けて、米沢まで。そうすれば奥羽線に繋がって、山の中の縦貫線だったと考えると、わかりやすいですね。
その際に、熱塩駅まで線路が出来て、そこで中断。路線名は、そのすぐ先の日中温泉から名づけられて「日中線」。
でも、後半は、列車は朝、夕、晩の3便しかないので、「日中は走らない日中線」という話が有名だったようですが、どうも路線名の命名が少々変わっている。
経緯は、もう地元の人でないとわからないのかも。
先日の東北からの帰路に、わざわざ通ってみたわけですが、新しい国道の立派なトンネルをいくつも抜けたところで、ちょうどトンネル名が「日中トンネル」。もともとの日中温泉は、ダムの下。
いずれにしても昔々のお話でした。
また北海道の鉄道が廃線に。
留萌本線の海岸沿いの方の一部ですが、最近のニュースで、今後の見通しが尋常ではないことになっていますね。
現在の路線でさえ、実は昔の最盛期の路線図と比較したら、驚きです。
最終列車がシカと衝突して遅れたとの事ですが、象徴的な環境。
ただ、九州では、上場のニュースと、あまりにも対照的な話。
鉄分ゼロの専務と、この話をしたら、即座に、官のままの匂いがする、とかなり鋭い指摘。
もっとも、以前に水戸岡氏のデザイン展などを一緒に見て、九州の方の取り組み方との比較もあったようです。
鉄路と道路。
明治から、国防上の理由に、産業、そして税収の都合でも、大きく変化した歴史です。
野ざらしが痛々しかった、さいたま市中央区役所前の蒸気機関車が・・・。
修復しようとすると多額の費用で、枕木も傷んで危険だとかで。
この場で解体されたんだそうです。合掌。
考えてみると、ほんの小さいときに駅前で見た機関車は、この9600型。もちろん、ずっとあとになって、分かったことですが。
止まるときの、グググーッ、というブレーキの軋む大きな音だけが、やたらに記憶に残っています。
ボランティアを中心としての、保存運動もあったようですが、場所が悪かったのでは。
それにしても、イギリスとかの保存鉄道は一体・・・。文化の違いももちろんですが、いろいろな意味での余裕度の違いは、何なのだろうとも。
今日は鉄道記念日、と思ったら、今は鉄道の日になっているそうですね。
明治の開業から144年、とは中途半端で、私はいつも、この日には、ものごころついたころに買ってもらった「日本の鉄道100年」という、図鑑とかではなく、物語に近い本のことを思い出します。
明治の政治家の名前もたくさん出てくる本ですが、繰り返し読んでいました。
当時は、あと何年かで100年という時代。
ただ、その頃の鉄道は、ストライキが多く、貨物輸送のトラックへのシフトが急速に進んだのも、それが一因との説も。
今日は、たまたま、当時のお客さんからの要望で、ストライキの時に、トラックが駆り出されたという話に。
電車が動かずに、会社へ通勤できない社員さんを、なんと、荷台に乗せてお客さんの工場まで運んだのです。
話には聞いていたものの、後年に、その会社で当時、人事にいた人からも、その頃の話を聞いて、本当だったんだと。
時代も時代ですから、お客さんにとっても切実な問題だったようで。なんとかならないか、という、切羽詰まった、やりとりの末の手段だったようです。もちろん、荷物の確認や監視の目的以外の人の荷台への乗車は、違反となってしまいますね。
鉄道の日に、ずいぶんと余計なことを思い出してしまいました。